【登山方法】登山
【天気】晴れ(宿毛市15/5℃)
【距離】11.4km
【コースタイム】
フェリー行き:7:00
フェリー帰り:15:35
弘瀬港(8:15)-仏ケ丘(9:30)-妹背山(10:00)-沖の島小中学校(11:00)-母島港(11:30/12:30)-弘瀬港(14:00)
初めての島ハイキング。前夜出発で港のそばのキャンプ場で一眠り。けっこう他県ナンバーもいたな。コロナCOVID-19だからこそかな。次の朝は急いでテントをたたんで、フェリー乗り場へ行く。
フェリーに乗って、1時間ちょいで、弘瀬港に着いた。ここからぐるっと一周の島ハイキングだ。晩秋のためか、コロナのためか、全然お客さんがいなかったな。島民のためのフェリーなんだろうな。早速歩き始める。道案内を見るとあの階段を登っていくようだ。裏路地から始まるハイキングって珍しい。自動販売機の値段は、普通だった。特に割高にはしてなんだな。小さな雑貨屋さんがあったが、何売ってんだろう?
階段の先には、島民の方が歩いていた。この方とは違う島民の方と話させてもらったけど、なんと旦那さんの退職後、石川からこの島に来たという女性の方。いやー、頭下がります。失礼ながらよくこの島に来たな。言葉も風習も異なり大変だろうな。
案内板はきちんとしている。本来ならもっと観光客が来てるのかな。ちょっと歩くのが悪いかなとおうほど、人の家の軒先の階段を登っていく。かなり空き家が多いが、まだ住んでいる家も少なくない。
水道と電気は来ていて、ガスはプロパンボンベを使っている。しかし、こんなところまで電気とファイバーの海底ケーブル敷設してるなんて、すげーな。いつから電気とか使えるようになっていたんだろう。
登っていくと、眼下にかわいい町並みが一望できる。間違いなく千葉で住んでいたアパートより世帯数が少ない。逆に都会ってすごいな。あの1棟で、100世帯以上あったんだもんな。
集落を離れて山に入っても、昔は人が住んでいた気配が残っている。この小さな島で、小さな畑を作り、魚を採って暮らしていたんだろう。水田跡は見当たらないし、主食はどうしていたんだろう。
仏ケ丘の圧巻の眺め。なぜここにこんなに仏像を祀ったのか。四国八十八体は、お遍路にあやかったものだろう。西国三十三体地蔵は、どんな由来があるのかな。そもそも三十三って何か意味があるんだろう。家に帰ったらネットで調べてみよう。
集落を離れて山に入っても、昔は人が住んでいた気配が残っている。この小さな島で、小さな畑を作り、魚を採って暮らしていたんだろう。水田跡は見当たらないし、主食はどうしていたんだろう。
仏ケ丘の圧巻の眺め。なぜここにこんなに仏像を祀ったのか。四国八十八体は、お遍路にあやかったものだろう。西国三十三体地蔵は、どんな由来があるのかな。そもそも三十三って何か意味があるんだろう。家に帰ったらネットで調べてみよう。
展望台は、きれいに修理されていた。どこからか予算がついて島の土建屋さんにお金が落ちてるんだろうな。こういう公共事業って、もはや必要悪になってるな。ここでしばし小休止。でも風が強いので、そんなにのんびりできなかった。
山頂広場は、きれいに刈り取られていて、泊まることができそうだ。地魚でも買うことができれば、泊まってバーベーキューなんていうのも楽しいそうだけど。ここに泊まれば、きれいな星空をみることができるだろうな。
朽ち果てたトライシクルがあった。炭でも運んでいたんだろうか。あと10年もしたらタイヤしか残っていないだろう。なんとなく懐かしい感じがするものを見れてよかった。きっと高度成長期には、それなりに島も賑わっていたんだろうな。
スジダイの森を歩いていく。スジダイってことは、自然林なんだろうな。昔は、炭にでも使っていたのかな。森の中を歩いていると、風が強い島だということを忘れることができた。全体的には風が強い島だ。
林道に出た。ここからは小学校まで林道を歩いていくのかな。この道は、車が通っている跡がある。林業なのか、山菜採取なのか。最近も車が通った形跡があった。なんのために通ってるんだろう。
学校に出た。小学生と中学生がいるようだ。学校の中には、きちんとLANもあるし、光ファイバも来てるみたいだ。ネットを見ると、2020年現在、9年ぶりに中学生が進学したそうだ。島でただ独りの中学生。高校はないので、みんな島外に行くのか。
母島の集落に下りてきた。小さい集落だけど、郵貯ATMの看板が見える。四銀、高銀のATMはないんだな。もちろんコンビニなんてもんもない。集落についたら、なんか食べようと思っていたけど、数件ある店はすべて閉まっていた。売店も昼間はやっていないようだ。
山頂広場は、きれいに刈り取られていて、泊まることができそうだ。地魚でも買うことができれば、泊まってバーベーキューなんていうのも楽しいそうだけど。ここに泊まれば、きれいな星空をみることができるだろうな。
朽ち果てたトライシクルがあった。炭でも運んでいたんだろうか。あと10年もしたらタイヤしか残っていないだろう。なんとなく懐かしい感じがするものを見れてよかった。きっと高度成長期には、それなりに島も賑わっていたんだろうな。
スジダイの森を歩いていく。スジダイってことは、自然林なんだろうな。昔は、炭にでも使っていたのかな。森の中を歩いていると、風が強い島だということを忘れることができた。全体的には風が強い島だ。
林道に出た。ここからは小学校まで林道を歩いていくのかな。この道は、車が通っている跡がある。林業なのか、山菜採取なのか。最近も車が通った形跡があった。なんのために通ってるんだろう。
学校に出た。小学生と中学生がいるようだ。学校の中には、きちんとLANもあるし、光ファイバも来てるみたいだ。ネットを見ると、2020年現在、9年ぶりに中学生が進学したそうだ。島でただ独りの中学生。高校はないので、みんな島外に行くのか。
母島の集落に下りてきた。小さい集落だけど、郵貯ATMの看板が見える。四銀、高銀のATMはないんだな。もちろんコンビニなんてもんもない。集落についたら、なんか食べようと思っていたけど、数件ある店はすべて閉まっていた。売店も昼間はやっていないようだ。
このままここであと3時間いるのも大変だ。もとの弘瀬まで暇つぶしに歩いて戻ることにした。ながい車道歩き。でも、1台の車に出会わなかった。もしかして、母島と弘瀬は仲が悪かったりして...人口密度どのくらいなんだか。
きれいな岬だな。岬の上には、きれいなキャンプ場があった。でもどうやってここまでキャンプ道具を運ぶんだ?島民向けバスが、平日は走っているようだけど、なかなか利用しずらいな。 長い車道歩きの末、弘瀬まで戻ってきた。それでもまだフェリーまで時間を持て余す。地元の小学生と少し話すことができた。その子のお姉さんが、島で唯一の中学生だそうだ。男の子が独り釣りをしていた。
まさかの切符売り場(笑 これは無駄がない。ところで、どうやって車は運んでくるんだろう?あのフェリーには載せれないと思う。やっぱり島で暮らすのって大変なんだろうな。行きと同じく、ほとんど乗客がいないフェリーに乗って宿毛に戻った。
駐車場 宿毛フェリー乗り場堤防空きスペース (トイレあり)無料
交通費 片道1,350円